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プログラミング実習 (C言語)
放送大学の面接授業に参加してきた。16、17日の2日間で、5枠の授業だ...要するに、1枠2時間15分が5回なので、...16日13:05〜20:30、17日13:05〜17:55...と、けっこうヘビーだ。

授業は、プログラミング実習。 元々、年に1単位くらいは、面接で取ろうと思っていただけで、今学期は特に良いものも無く、以前からちょっと興味のあった物をたまたま見つけて登録してみたまでだ。コレと狙った訳ではなかった。
それに、プログラミングに興味が有る、というわけではなく、特に今回の主題となる、C言語は、世にUNIXシステムが現れてきた頃(20年以上前だね...)から、仕事で接してきた処理系なので、いまさら言語を学ぶというものでもない。どちらかと言うと、僕らの様に仕事で致し方なく学んできた人間とは異なり、学問として学ぶ際にはどのような学び方があり、どのような理解の方法があり、どのようにそれを学生に伝えているのか、という所に興味が沸いたのだ。

担当の先生は、横浜国大の影井先生という方で、「横浜国立大学 大学院環境情報学府・研究院」で「影井研究室」を持っていらっしゃる。
今回の授業内容は、その研究室の学生相手にプログラミングの基礎を教える時に使うカリキュラムのようで、研究室HPにある、情報処理概論(物質工学科) とほぼ同じ内容であった。
放送大学は、2時間15分を5回で1単位としているので、今回の授業はこの情報処理概論の1〜11までを80%ほどの濃度で、2日間でこなすという内容だったので、深いところまでは入って行ける物でもない。


参加人員は、15名ほど。神奈川学習センターの実習室(コンピュータルーム)を7割ほど埋める感じ。年齢は、僕でもさほど上ではない...クラスの平均年齢を押し上げる程の年齢でもない...ようで、逆に若い人は少ない。まぁ、もともと放送大学は若い人が極端に少ないので、致し方ないが。
使用した処理系は、お約束のVisualStudioで、バージョンは最新版ではなく.Net(なので、2003か?)のProfessionalEdition(のおそらくアカデミー版)という辺りは、教育機関らしいそろえ方だ。はじめ、パソコン(WindowsXP)を立ち上げてログインすると、Cygwinが入っていたので、それで授業を行うのかと思っていたけど、予想が外れてちょいとガッカリした。どうも、僕は古いUNIXユーザーなので、学校や研究機関というとUNIXを使っている、という頭があるのは、いけない傾向なんだろう。

さて、その興味の行方だけど、やっぱり言語処理系の教育というのは、先生にとっても不毛な努力のようで、のらりくらりと授業を展開していった。と言って、不真面目と言う訳でないのだけど、問題解決の手法としてのプログラミングの学習は、不毛であるかのような発言がかなりあった、と言うことだ。
当然ながら、僕の業界でも、先生の主催する研究室のような所でも、コンピュータの言語処理系という物は、何かを実現する、もしくは研究する為の手段でしか無い訳だから、その手段を使う方法を学ぶというのもなんだか変な話しなのだ。一般的には、仕事をする為に、方法を何年にも渡って学ばなくてはならない、というのはあまり無い。それがゆえにコンピュータ業界の技術者は、あまり技術者的ではなく、大工のような、職人のような印象が有る。なので本来であれば、その本質を見抜くほどの知識を持っているように思いがちだけど、実際には言語処理系の学習に裂くべき時間なんか、ほとんど無く、深みを知る技術者は少ない。大学生も、このような授業に半年も裂くのはもったいない話しだなぁ、と思う。
要するに、プログラミング言語というのが、歴史的に難しすぎる、と言うことなんだと思う。特に、C言語となると、UNIX発祥の時期から、構造化アセンブラと呼ばれてきたわけで、たとえ現代のVisualStudioのC++言語処理系となったとしても、さほどその性格は変わってはいないので、基本的にはアセンブラを意識しながらのプログラミング作業となる。結果的に、H/Wを知らないといけない。当然ながら、OSやその他の制御構造も知っておかないと、多くの問題解決の場面で、迷宮に迷い込むことになる。
このことを、先生は、「プログラミングの勉強、コンピュータの動作原理の勉強は、きりが無いほど深く、複雑で、広大。よって、判らない事が起きたら、その奥を知る必要は、ほとんど無く、見てみぬふりをする勇気が無いと、目的を達成する事は出来ない。」と、表していたのが、印象的。

まぁ、やっぱり大学でも同じ様な事を考えている事が判った訳で、半分は単位消化のために参加したようなところのある授業だったけど、努力は無駄では無かったかも知れない。

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| U-Air | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
面接授業で、関内界隈を散策...
先日報告した面接授業の5時限目(2日目:日曜日の午後)は、これまで説明を受け、CDを聴いた曲が、いったいどのような場所、どのような雰囲気のところで演奏されたのか、を実際に見に行く事になった。
先生にも、一緒に行った人たちにも、許可を得ていないので、写真は小さくしてあります。先生は誰で、何の授業かはおいおいわかるでしょ。(^_^;;)

さてと...

横浜スタジアム横からスタート


この横浜スタジアムのある一画は、外人居留地相手の社交場であったらしく、その性格から、火事で焼きだされて移動、御用列車の邪魔になるために移動、と転々として、今の福富町辺りに落ち着いた、と言う歴史があるらしい。

横浜スタジアム奥の社交場跡地の名残の石灯籠とその解説プレート

石灯籠を横から見ると、そのお店の名前が彫ってあるのがわかる。

その後、大通りを県庁方面に歩き、横浜地方裁判所脇に入る。
その先の交差点から、開港記念館を望む。

そして、その開港記念館の解説プレート
この関内近辺は、このような歴史に残る建物が多いので、現在の用途とは関係無く、その歴史についての解説が建てられていることが多い。

県庁裏側に道路を渡る

税関の角対面をシルク会館方面に曲がり、先生についてそぞろ歩く。


横浜開港資料館を通りすぎたところで、明治時代に書かれた地図の復刻版で位置を確認。どうやら、この辺りで軍楽隊の演奏会が行われたらしい、と言うような事を話している。

地図を見ている写真を撮っている僕の後ろ側がちょうど開港資料館の角だ。振り返って撮った写真。

シルク会館前に道路を渡ってから、開港資料館の角を望む。

要するに、この開港資料館角の手前に見える広い辺り(今は噴水が設置されている)が、演奏場所だったと思われるわけで、おそらくフランス山辺り、もしくはトワンテ山辺りから、海岸線を歩いて行進しながらここまで来て、演奏会の始まりを高らかに宣言したのではないだろうか。


少し関内方面に戻ると、「かおり」がある。「かおり」がここで営業をはじめたのは、おそらく戦後だろうし、少なくとも有名になったのも、ここ30年程度だろう。
ただ、ここには横浜で初めてホテルが営業したところでもあって、その説明プレートがたっている。
 
記録によると、多くの歴史に残る人たちが、このホテルを利用したはずなのだ。実は、先日読んだシュリーマンの「古代への情熱」にも記述が有ったように思うが、シュリーマンもここに泊まっているはずだ。

NTTビル横を中華街に向かう。

一旦通りぬけるために、横浜大世界を通りすぎる。

元町の中華街側入り口にたどりついた。



元町を海側に抜け、外人墓地の隅にたどり着く。今は、ウチキパンの前の筋をフランス山に登らずに、右横に入ったところだ。

生麦事件で殺されたリチャードソンの墓であるとの簡単な案内板。
ここの墓地は、個人管理で本来は立ち入り禁止だが、リチャードソンの墓を探して不法侵入するやからが多いので、このような簡易案内板があるのだろう。(その証拠に何箇所かフェンスが破られている...(ーー;))

その後、フランス山の横裾野に行き、その片鱗を確認した。(写真が無いです...)

と言う事で、中華街に戻り少し散歩した後に開帝廟前で解散。

帰る人、何か食べて人、何か見に行く人、道のわかる人、判らない人、それぞれグループ別に流れ解散となった。


今回、この面接授業に参加してみて、まるまる二日間束縛されて、ようやく1単位しか取れないわけだけど、とにかく学問に夢中になる、と言う事は素晴らしい事だと言う事を、先生を見ていて最も感じたことだ。
音楽が好きでたまらない。歴史が好きでたまらない。楽器が好きでたまらない。調べたこと、感じたことを、常に人に伝えたい。そういうパワーがみなぎった先生で、とても良い出会いになれた、と思っている。


PS.その後、先生と数人の女性たちとで、中華街外れの喫茶店で、1時間ほど談話。
その中で、弥生時代の琴の話になって、先生も興奮気味に話を始める。その話は、まさに僕が知りたい分野でも有って、とても面白い話となった。既に、話の大半はおそらく、先生の著書にあるのだろうから、それを読んでから、またその話をする事にしよう。
いやぁ〜、琴は中国の文化ではなく、日本固有の文化でもあるのだ。と言う事は、とても感動した。僕も楽器の勉強を続けなきゃ。(^_^)
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| U-Air | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の面接授業に...
5月27、28日は放送大学の面接授業だった。
昨日は、1〜3時限で、10時〜18時までの座学でそれなりに疲れたが、今日は午後から、コレまで授業で話題になった、関内界隈のその場所を訪れる、と言うもので、コレはコレで、歩くのに疲れてしまった。

さて、授業というのは、「幕末の横浜界隈で欧米の軍楽隊によって演奏された演目とその時代背景、および現代への影響」、とでも題しておこう。要するに、xxxxx、と一言で言い表せない、少し複雑な話しだ。
かなり興味深い話しだったので、10ページ以上のノートをとった。久々に字を書いた。

関内散策中の、他の学生の話を聞いても、みなあくびをしながらでも、寝る事は無い授業だった、とのこと。(^_^)

幕末の横浜界隈...特に関内地区と言うのは、開港と共に日本に住み始めたイギリス、フランスの商人が住んでいた地区だ。山手下の運河で、出島の様に隔離されていた。当時、高島町側、伊勢佐木町側は、まだ埋め立てられておらず、特に高島町川は泥状の潟のような状態だったらしい。
しかも、それだけでなく幕末の尊皇攘夷志士から、商人たちを守るために、各国の軍隊も駐屯していた場所でもあった。その駐屯軍に所属している、軍楽隊が吹奏楽で色々な音楽を演奏している。この演奏演目、と言うのはおそらく母国で流行っていた音楽でもあって、母国の情報を何でも知りたがっていた、兵士や、商人たちのために、開かれていたものなのだろう。
山手の海岸側にある、フランス山、トワンテ山がそれぞれの軍の駐屯地で、現在の山下公園側海岸線(山下公園は関東大震災後の埋立地)を通ってマーチで行進し、現開港資料館前辺りで、演奏会が開かれたものと思われる。この演奏会は、実に毎週行われたらしい。

で...問題は、その演目。要するに、これらの演目と言うのは、今のクラシック音楽における、中期ロマン派辺りのオペラの抜粋などが多い。要するに駐屯兵や、商人たちにとっては、母国の情報を知る為の、新聞に次ぐ第二の情報源だったわけで、当時の流行曲の演奏には、とても興味があったのだろう。驚く事に、欧州での初演半年後に既に横浜で演奏される、と言う快挙もあって面白い。この当時は、荷物の運搬には、どんなに頑張っも2ヶ月はかかるわけだし、印刷だって時間がかかっただろう...だからコレは凄い事だ。
そして、これらの音楽が、日本で初めて西洋音楽が紹介された、と言う面があるだけでなく、このときに演奏された曲が、色濃く日本の文化に受継がれている、と言うことなのだ。実に、それらの幾つかは、既に今では日本でしか聞かれなかったりするのだけど、増してそれが商店街のBGMに流れていたりするから面白い訳だ。
おそらく、この駐屯部隊の音楽関係者が、日本の官軍、帝国軍の軍楽隊を教育したのだろうし、その音楽を聴いた若い日本の音楽家が、後世に伝えてきた、と言うことらしい。実際に、この時代の各藩の殿様は、軍楽隊を持ちたがって、お城にお抱えの能楽師、雅楽師などを起用して軍楽隊を編成したらしい。ちゃんと楽譜も雅楽師が使う文法で書かれた、軍楽が存在するのだ。(楽器も和楽器の編成だ)

まぁ、そんな話しを延々と初日3時限、2日目1時限(のべ8時間)行って、その後にその歴史が色濃く残る、関内付近を散策とあいなった。
その後の話しは、後日。
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| U-Air | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
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