フジ子・ヘミング 運命の力
フジ子 ヘミング (著), Ingrid Fujiko V.Georgii‐Hemming (原著)
単行本: 127 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: ティビーエスブリタニカ ; ISBN: 4484014068 ; (2001/06)
貸出し:12月1日(市立図書館 中央)
読了:12月10日
音楽性よりも、彼女の温厚かつ穏やかな性格が見て取れる、とても私的かつ詩的な内容の書。彼女の生きてきた記録が彼女自身により穏やかに綴られている。
音楽とは、生命とは、運命とは、と言う問いに人生から読み取った最良の返事がこの中に含まれている、と言う感じだろうか。
いつから人は外見だけの綺麗さに惑わされるようになったのだろうか。彼女の持つ美を見つめる視野の広さに関心、感動すら覚える。
彼女のピアノに向かう姿勢、音楽の趣味などを見ると、現在のクラシック音楽業界が変な方向性に走ったまま、戻ってこれない状況に追い込まれているのを、切実に感じる。
ちなみに、フジ子さんのコンサートを見に行った2月ころから、彼女のピアノを批判する言葉と、実際の彼女の音楽とを比較してきた、ようなところがあるが、この書でその一部が解明できた様に思う。
彼女のピアノの音を汚い、と感じる人たちは有る意味素直な音への反応なのであろう。なぜなら、頭の上まで振り上げた腕、手をナタでマキを割るかのごとくのスピードで振り下ろし、中指一本で一音を鳴らす。東京文化大ホール中央に置かれたベヒコンサートグランドが悲鳴を上げ、その声がホールを揺らすほどだからだ。
だが、全体の音の構成や音楽の解釈と言う面では、フジ子さんには、フジ子さんなりの論理が有る。全てのピアノの音表現が澄んだ音である必要は無いわけだし、その音が彼女の叫び声に聴こえる限りは、表現方法の一つであって、なんら間違いが有るわけではあるまい。
それに彼女のFFFの弾き方は、一部力づくの印象が否めない訳で、そこまで表現に命かけなくても良いのでは、と思えても、かのリストでさえ当時のピアノをコンサート中に3台も壊した、と言うから今のフジ子さんもさほど変わったものでは無い、とも考えられる。
結果、心で聴く耳があれば、彼女の音の必然性は判るように思うのだが...今のピアニストが余りに正確無比かつ冷やかに思えてしまうのは、私だけでは無いと思う。